タペストリーになりゆくもの

Une-Maille

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愛の挨拶



 その日は、三ヶ月前から楽しみにしていたゲームの発売日、その前日だった。通販で予約を入れてからこっち、毎週のように注文履歴を眺め、待ちわびていた。このために有給をとって、三連休にした。明日の朝、届いたらすぐに始めようと思っている。だから俺は、とてもうわ浮いた気持ちで自宅の郵便受けを開いた。ひょっとしたらもう届いているんじゃないか、そんな淡い期待を抱いてすらいた。もちろん、その期待は裏切られることになる。
 郵便受けにはいくつかのチラシやら封筒やらが入っていた。チラシはどうやら、近所のスーパーの特売日のお知らせのようだった。日用品が安くなっているのを確認して、この週末の買い物を考えるが、すぐにやめた。もうこの週末分は買いだめをしてあった。特売は明日からだ。この三日はもう、外に出かけるつもりがなかった。
 封筒の方は、一つは契約しているカード会社からの定期便だった。表に印字された名前だけで分かる。後で開けてみてみるとして、今はもう一つの方が気になった。
 どこにでも売っている茶色い封筒だ。しかし妙なことに、表には何も印字されていなかった。不思議に思って裏返してみるが、そこにも何も書かれていない。宛先もなければ送り主もなく、当然消印もない。直接投函したのかもしれなかった。
 疑問を覚えながらも、俺は郵便物を手に部屋へと向かった。

*

 部屋に戻り、荷物と郵便物を無造作に椅子や机に置いて上着を脱いでから、俺は件の封筒を改めて手に取った。とても軽い。軽く振ってみると、中で何か硬質なものが動く音がした。封筒の中で大きく動くそれは、小さな固形物のようだ。照明に透かしてみると、封筒より一回り小さい長方形の影と、それから鍵のようなものがより濃い影となって映っていた。
 危険なものではないようだ。俺は封筒を開き、中を覗いた。間違いない。鍵と、それから紙が入っている。封筒を逆さにして振ると、内容物は勢いよく俺の手の中に飛び込んで来た。
 小さな鍵だった。少なくとも、家の鍵ではない。鍵の頭にはリングでプレートが繋がれていて、そこには"20"と数字が刻印されていた。どこかのコインロッカーの鍵だろうか。自分が何か忘れ物でもしたかと逡巡するが、普段あまりコインロッカーを使わない上、ここ最近使った覚えもなかった。心当たりはない。
 眉根を寄せながらも、俺は紙の方を調べた。触れてみると、どこにでもあるコピー用紙の肌触りだ。三つ折りにされている。真白なその紙にはなんの変哲もなく、裏返してもやはり何も書いていなかった。紙を開くと、中からもう一枚、ひらりと落ちる。
 床に落ちたそれには、樋口一葉が象眼されている。俺は慌ててそれを拾い上げた。折り目の一つもない綺麗な五千円札だ。俺は急速に危険を感じた。このような金を受け取る理由はどこにもないように思えた。俺は封筒を元に戻して見なかったふりをしようと思い、一葉をまた紙に包もうと考えたところで、開いた紙の方に文字が刻まれていることに気づいた。俺は目を疑った。
 そこには、"あの時のお金を返します 西広愛佳"と記されていた。

「は……?」

 思わず声が出た。愛佳と五千円にはとてもよく覚えがあった。愛佳と水族館に行った時、愛佳が好きなイルカの、とても大きなぬいぐるみがあって、それが一万と五千円した。愛佳はたまたま持ち合わせが少なく支払い切れなかったので、俺が五千円を建て替えたのだ。もう五年も前のことで、しかしそのお金は確かに帰って来なかった。
 愛佳が死んだからだ。

「なんだよこれ……」

 俺は怒りを覚えた。誰かが愛佳の名を騙っている。しかも愛佳が返せなかったお金を、勝手に返している。俺が愛佳から取り立てるような真似をしているようで、腹が立った。俺は元通り、五千円札を紙に包んで封筒に戻した。元あったように郵便受けに戻して、素知らぬ顔を決め込むつもりだった。しかし手に持ったままだった鍵を封筒に戻そうとした時、その鍵はいったいなんなのか、そんな疑問が頭をかすめた。
 俺はもう一度、鍵を詳しく調べてみた。どこかで見覚えがある気がする。"20"という数字にも心当たりがあった。愛佳が死んだ年だ。俺が二十一で愛佳が二十。その意味深長な数字にまた腹が立つが、やはり無関係とも思えなかった。第一、金を返すというのならもう用は済んでいるはずだ。ならこの鍵はいったいなんなんだ?
 しばらく眺めていたが、どこの鍵なのかは分からず、俺は駅に行ってみることにした。コインロッカーならば、おそらく駅にあるだろう。家のポストに直接投函したのなら、最寄り駅も知っているはずだ。なんだか踊らされているような気もしたが、この得体のしれない犯人の思惑が気になった。もし会えるとすれば、言いたいことは山ほどある。それに、家を知られているということは、この先何度こういうことがあるか分からない。不気味な人間に監視されているという思いで生活するのは嫌だった。俺はもう一度上着を羽織って、封筒と鍵を握りつぶさんばかりの勢いで家を出た。もう明日届くはずのゲームのことは考えられなかった。

*

 駅に到着し、コインロッカーへと向かう。"20"という数字の鍵を握りしめ、ロッカーをねめつける。番号を目で追って行き、"20"にたどり着くが、そこは未使用で、鍵もついたままだった。どうやらここではないらしい。
 俺は首をひねって、ロッカーではないのかと考え始めた。あるいはもっと他の場所なのか。数字以外に手がかりはない。自分は何か間違っているという意識が俺を支配した。こうして思い悩むのも犯人の思うつぼなのかと思うと、無性に腹が立って仕方がない。
 俺は長く息を吐いて、自分を宥めた。怒れば怒るほど犯人を喜ばせるだろう。冷静に、他の可能性を当たらなければ。ひとまずここに長居しても意味はないようだ。とりあえず、駅員にでも訊いてみるか。
 俺は改札の窓口に向かった。窓口にはかわるがわる人が訪れ、駅員に物を尋ねていた。俺が順番待ちの列に並ぶと、ドアを開いて詰所から出て来た若い駅員が、俺の目の前のお婆さんを連れていった。どうやら道が分からなかったらしい。やがて順番が回って来て、俺は駅員に声をかけ、鍵を見せた。

「すみません、この鍵に見覚えありますか?」
「はい?」

 壮年の駅員は、訝し気な視線をこちらに向けて、それから俺が差し出した鍵に一瞥をくれた。

「さあ、分かりません」

 軽く首をかしげて、鍵から視線を外すと、手元の何かに向けて鉛筆を走らせる。

「たぶんコインロッカーの鍵だと思うんですが、ここのじゃないみたいなんです」
「そうですか……この駅のロッカーでないなら、私どもには分かりかねます」

 さらさらと鉛筆を走らせた後、駅員は顔を上げた。そこにはもはや彩りというものがなく、彼が義務感で俺に接しているのがありありと伝わって来た。

「じゃあ、この辺りで他にロッカーのあるところは? ご存知ないですか?」
「隣駅なら。他は分からないですね。その鍵はどちらで?」
「え?」
「遺失物でしたら、こちらでお預かりしますが……」

 駅員は伺うようにしてこちらを見上げた。感情の見えない無機質な双眸が俺の頭の後ろのあたりを捉える。

「いや……」

 違うんですと、そう言おうとして、だったら何だと言い訳するつもりなのか、それが思いつかない。ありのまま事情を伝えるには、彼は駅員に過ぎた。

「いえ、いいです。ありがとうございました」

 結局何も言うことができず、俺は踵を返した。駅員は面倒な客が捌けたと考えたのだろう、すぐに次の客の対応に移った。俺はあてを失って、もう一度考え直す必要に迫られた。何か見落としている気がする。ロッカー。さっき駅のロッカーを当たった時にも、何か違うという思いが頭の隅にあった。俺は、これを知っているのではないか?
 手の中の鍵を見つめる。とても小さく、正方形に近い、角の丸い頭から短い刺し口が伸びる。鍵には詳しくないが、よく見る形のように思えた。リングで繋がるプレートも、そこに印字された"20"という数字も、よく見るもののようで、仮に俺がこれを知っているとしても、どこで見たのかさっぱり見当がつかなかった。
 
「クソッ」

 落ちていた空き缶を怒りに任せて蹴っ飛ばす。それは幸い構外へと転がって行って、こちらに向かって来る男性が眉根を寄せて避けただけに済んだ。苛立つ自分に抑えが効かず、俺は一度探すのをやめることに決めた。ゲームセンターにでも行って、コンピューターを相手に憂さを晴らそう。俺は踵を鳴らして駅を後にした。

*

 行きつけのゲームセンターは、俺の家から駅を抜けて北側にある。一度考えをリセットするにはちょうどよい道程だった。高架をくぐって脇道に入ると、ゲームセンターの看板が見えて来る。大きなゲームセンターで、人もよく集まる場所だ。その看板の下まで来て、入口の自動ドアを抜けた時、俺は思い出した。そういえば、ここにもコインロッカーがあったのではないか?
 一度利用したかどうか、覚えていないくらいだが、確かにあった。トイレに行く時に目にしたような覚えがある。俺はポケットの中の鍵をまさぐって、ゲームのことはすっかり忘れてトイレの方角を目指した。
 トイレへと続く廊下の、分かれ道の先にコインロッカーはあった。近づいてまだ鍵のついているロッカーを検める。プレートや鍵の形状は、手に持つその鍵と一致していた。"20"のロッカーに目を遣る。果たしてそこに鍵はついていなかった。

「ビンゴ!」

 我を忘れて声に出す。既に周りを気にする余裕はなくなっていた。目的のロッカーの前に立って、鍵を挿して回そうとしてから、金額が表示されているのに気づく。どうやら料金分を超えて預けられているらしかった。誰が預けたかもしれない荷物に金を払うのは癪に障るが、ここまで来て放っておく気にもなれなかった。表示板には600円と表示されている。俺は財布を開いて、小銭を漁った。日頃から百円玉は意識的に溜めるようにしていたので、なんとか六枚は揃っていた。俺は一枚一枚百円玉を投入し、数字を目減りさせていった。六枚の百円玉をロッカーが飲み込むと、俺は鍵を回した。カチンという軽い音がして、ロッカーはあっさりと開いた。

「これは……」

 中に入っていたのは、ビニール袋に包まれた、スマートフォンだった。画面に大きなひびが入っている。それには見覚えがあった。愛佳の愛用していたものだ。

「なんなんだ、クソッ」

 俺はそれを手に取って、手に取ったはいいが、どうしていいか分からなかった。ぶら下がったキーホルダーも、裏に貼られたキャラクターのシールも、それが間違いなく愛佳のものであると示していて、それに怒りをぶつけることはできなかった。空いた左手でロッカーのドアを叩きつけるようにして閉めると、その勢いでドアが跳ねて戻ってくる。俺は舌打ちをしてもう一度、力任せに掌を押し付けて閉じた。
 俺の中で怒りだけが育ち、不可解さが増して行く。死んだはずの愛佳の名前でメッセージが届き、死んだ愛佳のスマートフォンがここにある。悪戯にしても度が過ぎていた。もはやこれは紛れもなく愛佳に対する冒涜だった。

「誰なんだ一体……こんな……ッ!」

 俺はスマートフォンを強く握りしめて、姿の見えない犯人を睨む。しかしそこにはコインロッカーがずらりと並び、薄灰色の廊下が伸びているだけで、俺の怒りはむなしく空を切った。激しく舌打ちしてロッカーを殴りつける。大きな音が響き、廊下の先から小さな悲鳴が上がった。見ると、少女が逃げるようにトイレへ向かっていくところだった。
 俺は息を大きく吸って、歯の裏にひっかかりながら息を吐いた。大きく頭を振って、外へと歩み始める。もう憂さ晴らしをしようとも思えなくなっていた。とにかくもう、一秒でも早く家に帰りたい。
 ゲームセンターを出たところで、自分がまだ愛佳のスマートフォンを握りしめていたことに気づき、ポケットにしまおうとした。するとピリリリリと、音がした。後背から響く重く鈍い音に、ともすれば紛れてしまいそうになるそれは、自分の手にするスマートフォンから発されているのだと、"非通知"と表示された画面が教えてくれた。俺は怒りに任せて電話をとった。そして開口一番に相手を怒鳴りつけた。

「誰だよてめぇッ! 何のつもりだ!!」
『…………』

 受話器の向こうからは、ノイズだけが聞こえて来た。自分の息が荒いのが分かる。背中で自動ドアが開いて、中の音がクリアに聞こえた。俺を避けて客が出ていき、カップルの男の方が俺に不快な視線を向けていく。そのすべてが、俺にはもうどうでもよかった。

「なんとか言えよこの野郎!!」

 構わず大声を出して、視界の隅で先を歩くカップルが振り返ったのが分かった。軽く睨みつけると二人は怖気づいてそそくさと立ち去る。俺は目の前に何もないと分かっていながら、そこに目いっぱいの怒りを視線に込めてぶつけた。

『どうしてそんなこと言うの……? 修宏に会いたくて帰って来たのに……』
「こ、この野郎……!」

 電話の先からは、大仰に嘆き悲しむ女の声がした。俺の名前を呼んだ。まるで愛佳がしていたように。声も不思議と愛佳に似ているように思えた。けれど彼女は死んだのだ。俺も死体を確認した。やっと忘れて新しい生活を送っていたのに。なんだって今更こんな。

「ふざけんのもいい加減にしろよ! 死んだやつおもちゃにして何が楽しいんだよ、えぇ!?」
『…………』

 電話の向こうはまたノイズに包まれた。俺はこの悪辣な女をもっと罵ってやろうと声を張り上げた。

「まただんまりかおい、陰険なやつはすぐそうやって黙り込む! てめぇが誰なのかはしらねぇがな、やり口が気に入らねぇんだよ。言いてぇことがあんなら顔見せろってんだよ、このビビリが!」

 電話の向こうは黙ったままで、だから俺は言いたい放題に罵倒の言葉を浴びせた。そうやって罵詈雑言を口にしている間にも、背中で何度かドアが開いたり閉じたりして、出て来た客が俺に侮蔑や非難の視線を投げかけていく。

「どうしたおい? 言い返してみろよ? できねぇのか? できねぇよなぁ、この臆病モンが。どうせてめぇはその程度のやつだよ、面と向かって話す度胸もねぇんだろうが。悔しかったらここに来てみろよ、あ? こんなクソみてぇな悪戯した責任とらせてやっからよ、なぁ?」

 ドアが開く。閉じる。カップルが歩いていく。開く。閉じる。男が歩いていく。開く、閉じる。

「来いよこの野郎、かかってこい! 俺に文句があんだろうがよ、出て来いよほら!! できねぇんならこっちから行ってやろうか、あぁ? テメーみてーなクソヤローは警察に突き出して『ブタ箱にぶちこんでやるからな!!』」

 声が聞こえた。後ろから。電子に乗ってざらついた、自分の声が耳朶を叩く。

『「――あ?」』

 俺は反射的に振り向いた。ドアが閉まる。スマートフォンが見えた。通話中という文字が目に入る。"まなか"という文字も目に入る。それを持つ手も。持つ人も。女だった。髪が長い。睫毛も長い。眦は垂れている。右の泣きボクロが特徴的だ。それは、俺のよく見知った女の顔だった。

『「……まな、か?」』

 自分の声が二重に聞こえた。

「久しぶり、修宏。浮気してなかった?」

 俺のよく知る愛佳の顔は、俺の知らない顔で笑った。



「封筒」「ゲームセンター」「鍵」という三つのお題で書いた話です。
長いサスペンスの幕開け、と言った印象のお話。こういったタイプの作品はあまり書かないので新鮮でした。
最初に最大の謎を持ってくるタイプの作風は苦手です。なぜならそこで盛り上がりが最高潮に達しているからです。僕はクライマックスはエンディングの手前に持っていきたくなります。つまりこういった構成は短編でこそ行うべきだと考えているのです。
しかし短編ではすべての謎を解明することはほぼ不可能です。いつか「短編」であり「最初に最大の謎」を持って来て、「すべての謎が解決する」作品を書ければ、それは最高に面白いものになるのではないかと思いますが、現在の僕の実力ではそのような作品を書くことはできません。
週刊マンガ家さんってすごいと思います。

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