タペストリーになりゆくもの

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みゃあ(03/03)

しとしとと雨が降り始めた。
今年は梅雨入りが少し遅かった。6月の下旬になってやっと訪れた雨期が、うだるような暑さにようやく少しだけ打ち水をしてくれた。
陽射しが弱くなって、代わりに湿気はすこぶる増した。外から照り付ける防ぎやすい暑さが、内から蒸し焼く耐えがたい暑さへと変わった。
去年の今頃も、こんな天気とこんな空気だった。真美の記憶にまだ新しい、みゃあとの最後の邂逅は、それでもなんとか思い出の形をしている。
真美はアパートの庭にしゃがみこんだ。真美の目の前には、少しだけ盛り上がった土と、丸い石を三つ重ねたオブジェのようなものがあった。
真美は自分の傘を地面に置いて、オブジェが濡れないように雨を遮る。
黄色い布地に白い猫がプリントされた、可愛らしい傘だ。真美の一番のお気に入りだった。

「久しぶり、みゃあ。あんまり来れなくてごめんね」

墓石に向かってそう挨拶して、真美は鞄から猫缶を取り出した。
プルタブに指をかけ、強く引く。あの日と同じ香りが溢れ出した。
真美は開封した猫缶を墓前に供え、手を合わせた。
体を打つ雨にも構わず、真美は目を閉じて、簡単に近況を報告する。暑さに耐えきれず、夏服に衣替えしたこと。そのせいで腕が日に焼けてしまったこと。生田への恋は前途多難だと言うこと。
あの河川敷は、去年と同じように背の高い草に覆われ始めていること。河原を通るおばさんは、一年経っても未だに犬を抱いて散歩していること。
みゃあに話したいことは、山となって真美の頭の中に積もり積もっていた。
肩を濡らす雨が止んで、真美は一度目を開けた。しかし目前には変わらず五月雨が降り注いでいる。

「風邪引きますよ」

いつの間にか、生田が傘をさしかけてくれていた。
真美はありがとうと礼を告げて、黙とうを続けた。そのままたっぷり三分ほど、真美はみゃあに話し続けた。
生田はその間ずっと、黙って傘を差し続けてくれた。
やがて真美はゆっくりと両目を開けて、名残惜しそうに手を離す。意を決して傘を手に取り立ち上がる。痺れる足に真美は顔をしかめた。
きちんと笑顔を作ってから振り向くと、生田のまっすぐこちらを見据える瞳と目が合う。

「おしまい。ありがとねセンセ」

真美はことさら笑って見せた。生田はこうして真美がお墓参りをしに来ると、決して真美から目を放そうとしない。
また半年前までのように落ち込んでしまわないかと、気にかけてくれているのだ、たぶん。
生田は真美の笑顔を見て安心したのか、少し口元を緩めた。

「いえ、蒲原さんはちゃんと約束を守りましたからね。ご褒美のようなものです」

真美が自分で傘を差したので、生田はすっと自分の傘を避けた。
生田の汚れの目立つ、お世辞にも綺麗とは言えない白衣は、肩口から濡れた色に変わっている。
生田は誰になんと言われることがなくとも、特に好意のない相手にだろうと、こういった行いの出来る男だった。
そういった生田の裏のない善意が、真美の幼い恋心を強く惹きつけて離さない。
真美は黄色い傘を自分の肩に預けた。
雨に濡れた真美の肩を、金属の棒は冷たく冷やす。真美はみゃあを腕に抱いた時の温もりが恋しくなった。
ついうつむきそうになる自分を叱咤して、真美はもう一度笑顔を作る。
幸い生田の視線はみゃあのお墓に向いていた。

「この子は、幸せですね。蒲原さんのように何度も足を運んでくれる人は、そうはいませんよ」

生田は目を細めて、視線を左に、それから右に、ゆっくりと動かした。
視線の先には、みゃあの墓石の他に3つ、丸く形の良い石を積み上げたものがある。
生田のアパートにある墓は、みゃあのものだけではなかった。
大きさの違いこそあれど、その意味するところは同じだ。すべて等しく死者を弔うためにある。
一列に並んだ3つのお墓は、どれも近くで事故に遭い、生田が埋葬した動物のものらしい。
今日からちょうど一年前。みゃあも、その仲間に入った。

「幸せなのは、たぶんあたしだよ。一回見失っちゃったのに、こうしてちゃんとお墓参りできるんだもん」

真美は傘をくるくると回した。
黄色の布地に白くあしらわれた猫が、傘の上を走る。

「センセのおかげだね」

そう言ってはにかむ真美に、生田は静かに首を振る。
その寄せては返す波のような動きは、否定の意味をとても穏やかに、見る者の内にしみ込ませた。

「いいえ。蒲原さんが頑張ったからですよ」

生田の真美を見る目は、真摯だった。
嘘も偽りもなく、心の底からそう思っている。真美にもそう感じ取れるだけの思いが、そこに込められていた。

「蒲原さんが、この子のために立てなくなるくらい走り回った。だからこの子の死に目に逢えたし、だから今ここにいるんです。あの時出会わなかったら、僕はあなたと言葉を交わそうとも思わなかったでしょう」

そしてここに訪れるのは、今でも僕一人だった。そう零す生田は、愁いを帯びた表情をしていた。
真美はその言葉に、目を伏せる。落とした視線の先にはみゃあの墓石が、何も言わずにただ佇んでいる。

「……そうかな。あたし、頑張れたかな」

真美はくるくる、くるくると傘を回す。傘の上の猫は元気に走り回る。
真美の頭上で忙しなく動き回るその猫が、真美を励ましているように生田には見えた。
亡くなった子猫が、真美に悲しまないで欲しいと訴えているように見えて仕方がなかった。

「蒲原さんのおかげで、一時でも広い世界を知ることができたんです。蒲原さんがいなければ、何も知らぬままその一生を終えていた……」

だから、生田は子猫の気持ちを代弁するつもりで真美を励ます。
真美の小さな肩にでも、子猫の小さな命一つは乗っていける。
見送った命と一緒に生きていけると教えてやらねばならない。
生田は精一杯の思いを、子猫は真美を恨んでなどいない、真美のこれからを祝福しているはずだという真心を言葉に込める。

「この子は蒲原さんに感謝しているはずですよ」

この一年間、幾度となく生田が真美に告げた言葉だった。
何度繰り返しても、真美がそれを素直に受け止められるようになるかどうかは分からない。
それでも生田は、何度でも同じ言葉を真美に与えるだろう。
それが生田という男であり、真美の理科担任の教師であった。

「……そだね。ありがと、センセ」

礼を述べる真美は笑う。口の端を上げ、目を閉じて。
それが作られたものだと言うのは、生田にも分かった。
しかし生田はそれを指摘しない。
無理にでも笑おうと言う気持ちを持てるのなら、それでいい。生田はそう考えていた。
そうやって少しずつ、本当に笑えるようになっていくのだから。

「じゃあ、あたしもう帰るね。お母さんに怒られちゃう」

傘を回す手を止めて、真美は微笑んだ。
少し無理をして形づくった、細部に歪みの見える拙い笑顔だったが、それは一年前に見られた何気ない真美の笑顔に負けないくらい、美しいものだった。
真美は踵を返してアパートの間口へと向かう。

「送りますよ」

その背中に生田は声をかけた。
ポケットから車のキィを取り出して、ちゃりちゃりと鳴らす。
真美は信じられないものでも見るような顔で振り返り、

「いいの!?」

一瞬遅れて、笑顔を弾けさせる。
真美はこれまで何度もここに足を運んで来たが、半年を過ぎた後、一度も送ってもらえたことはなかった。
真美が何度かお願いしても、生田は決して首を縦に振らなかった。
一介の生徒に一介の教師が介入する分を超えている、というのが生田の言だった。
半年前までは何も言わずに送ってくれた生田が、突然やめると言い出した時には真美はふてくされたものだった。
だが後から考えれば、送ってくれていたのは生田の優しさ以外の何物でもない。
みゃあのことで塞ぎ込んでいる真美を放っておけない。そういう気持ちの下に優しくしてくれていたのであって、真美一人に肩入れするのは生田の本意ではなかったはずだ。
生田は堅物だ。頑固でもある。自分の中の価値観に従う理屈でしか、意見を変える人物ではなかった。
だから真美は生田に送ってもらうことを、もうすっかり諦めていたのだった。
いったいどういう風の吹き回しかと真美が驚いていると、

「今日だけですよ。門限を破らせるわけにも行きませんしね」

そう言って、生田は少し目を逸らした。
それが生田の照れ隠しの仕草なのだということを、真美はこの一年でよく知っていた。
おそらく、一周忌だからと無理を押して来たことが影響しているのだろう。このままでは走って帰ってもまず門限を破ってしまう。
あるいは一周忌という事実自体が影響しているのかもしれない。みゃあの死から一年経って、みゃあに対して何か思うところがあったのかもしれない。
とにかく、何がしかの生田らしく筋道だった理由があるはずだ。
生田の行動が自分への好意から来るものではないと、そう自分に言い聞かせるのに真美は必死になった。

「何してるんですか。遅れますよ」

空転しかかっていた真美の頭を、生田の手がぽんと叩いていった。
真美は自分の頭を押さえる。向かいの駐車場へと向かう生田の背中が、黒く柄もない傘の影から見え隠れする。
いよいよもって真美は、自分の煩悩との戦いに明け暮れる羽目になった。
茹でだこのようになった真美が生田に名を呼ばれ、生田の車に乗り込み、自分の家へと帰る道中で、二人は他愛もない会話をした。
いつものように、話を振るのは真美ばかりだ。友達と行ったカラオケが楽しかっただの、昨日のテレビがつまらなかっただの、年相応の話題を年相応に楽し気に振る。
生田はといえば、これまたいつものようにそれを黙って聞いて、時折振られる質問にきちんと返事をする。大真面目に思ったことを言ってくれる生田が、きちんと話を聞いてくれているのだと真美は安心する。
二人の関係に変化はない。半年前に真美が生田に告白して、生田がそれを断ってから、ずっとこの調子で、友人と言っていいのかどうか、お互いに迷うような関係を続けている。
真美はそれを悪いことだと思っていなかった。自分の気持ちを制御できず、生田に告白してしまってから、断られてほっとしている自分に気づいたからだ。
みゃあのことがあって、幸せになることに臆病になっているのかもしれない。そう考えるようになってからは、もう一度告白しようという気持ちにもなれなかった。
生田の徹底した態度は真美を助けた。真美がどれだけ道化て迫ったところで、生田は決してそれを許容しない。
真美は生田にアプローチして無下にされ続けるという関係に留まることで、幸せを追いかける自分という前向きな形を見つけていた。
いつか真美がみゃあのことをすっかり乗り越えて、生田の下を巣立つ時が来るまで。
それまで真向から気持ちを断り続けることが、教師としての責任だと生田は思っていた。
決してほだされてはいけないと自分に言い聞かせるのが、生田にとっての、教師としての務めだった。
雨脚は弱い。それでも厚く空を覆う鉛雲は、これから何日も続く雨期を予感させる。
じっとりと湿気た梅雨がしばらく続く。
しかし、それが終われば、また晴れやかな陽射しが顔を覗かせる。
長く鬱屈した日々を抜け出し、悠々と羽を伸ばして、青く澄み渡る空を飛んでいけそうな晴れがましく明るい一日。
いつかその日が来ることを、生田は経験で、真美は無垢な期待で、確かに信じている。

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「褒められると嬉しいのですが、素直に喜べません」というお題から妄想を広げたらこうなったお話です。
お題の名残は最後に生田から褒められた時、真美が素直に受け止めきれていないところに出ていると思います。ただ、書いてる時にはもうお題のことは忘れていましたね。
ストーブ』より後に書いた長めのお話で、『ストーブ』での反省を生かしてじっくり取り組みました。
身内から評価が良く、また小説家になろうさんでもたくさんPVをいただいて、たぶんなろうさんに投稿していて一番受けた作品なのではないかなと思います。
 ↑サイト始動直前、2018年3月末になって『Blind』がこの記録を軽く塗り替えていきました。

僕としては、長さのわりに詰め込みすぎた作品で、構成力不足を実感した経験でした。伝えたいものをできるだけたくさん伝えようとして、ぐちゃぐちゃになってしまったのです。
特に最後の地の文にそれがよく出ています。こういったものは展開や文章に埋め込むもので、地の文にだらだらと書くのは語りたがりの自己陶酔です。
自分はまだまだ青二才だと痛感します。書き続けて、少しずつ成長していきたいものですね。

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